二宮尊徳翁の話の中に
「一言を聞き手も人の勤惰は分かるものなり
江戸は水さへ銭が出ると云うは、懶惰者なり
水を売りても銭が取れるというは勉強人なり」
という話があるようです
これを松下幸之助さんが解説をしました
『田舎から二人の若者が花のお江戸に仕事を求めてきました
そうしますと、江戸では街角で一杯の水を売っている人がいます。
二人はそれを見て驚きます。しかし、その二人の驚き方が異なるのです。
一人の若者は「なんと、江戸では一杯の水もお金を払わないと手に入らないのか
こういうところではとうてい住み続けることはできない」と気を落として田舎に帰ってしまう。
ところがもう一人の若者は「これはおもしろい、江戸では一杯の水を売ってさえ
商売ができるのか。知恵を働かせば商売の道は無限だな」と
胸を躍らせて江戸に残ることにした、というのです。』
『一杯の水を売っているという事実は一つですが
その見方はいろいろあり、悲観的に見ますと心が絶望へと通じてしまいます。
しかし、楽観的にみるなら、心が躍動し、さまざまな知恵や才覚が湧いてくる。
ということを尊徳翁は言いたかったのでしょう。ぼくもその通りだと思います』
松下幸之助「思うまま感ずるまま」PHP
伸びる人と伸びない人の違いという気がしました
何を見ても「これはおもしろい」と思えるようでありたいものです